生茶パンダマウス

変なところで運を使う干瓢です。運って使いたいところで使えないですね。運ってきっと使えないんだと思います。運の使い時もきっと運。運は運。うんうん。うん。




別に使いたくもない運を使って、会社の売店で見事当ててしまった、「生茶パンダ」の光学式マウス。非売品。感光部の赤い光が溢れんばかりにパンダ全体を赤く染めているさまに、安っぽさは決して感じない。頬を赤らめて可愛いじゃないですか。いやごめん、どう見ても赤すぎる。
今まで付き合ってきたマウスは数知れず、初代はMicrosoft製の白いトラックボール式マウスでした。XYの動きを関知するローラーが「アカやホコリ」で絡まり、うまく動かなくなると分解して掃除、なんて言う事はよくやったものです。時代が進むにつれて980円の光学式マウス、ロジクールMicrosoftレーザーマウスBluetoothマウスなど様々なマウスを使ってきました。
でまぁ、このパンダマウスね。全然期待してなかったんですけどね。ところがどっこい、USBに繋げて遊び半分で使ってみると、めちゃくちゃ使いやすくてビックリしました。クリック時のカチカチという音が大きいのがちょっと気になるのですが、アヘっぽくて大きなパンダの頭の丸みと手のひらが当たる部分の角度が妙に上手くフィットし、とても自然に動かせるんです。安マウスも以外と侮れないですね(実は安くないかもしれないけど)。




猫の話。と感謝の意。
ずっと一緒だった猫が天に召されて1週間、初七日を迎えました。
明日から平常モードとか勢いで言ってましたが、全然平常ではなかったですね。死んだ翌日、会社から帰って来たときが一番辛く、不機嫌そうにしていた婆猫がいないという事を、真っ暗な部屋の中で痛感してしまい、一緒にいてくれる人がいないような激しい孤独感に襲われて、かなり萎えてしまいました。
会話していても、普段は何ともないのに「単語」が全く出てこなくて会話がぎこちなかったり、でも仕事などではやっぱり笑顔でいなきゃいけないので笑ってるんですが、そのあと襲ってくるなんとも言い難い虚しさが、妙に辛かった。「鬱になってしまうのかなぁ」なんて言う馬鹿な事も電車の中で考えたりしました。
ようやく落ち着いてきたのは、火葬を終え骨になった猫が戻ってきた土曜日。本当はするべきじゃないんですけど、骨壺を開けて骨を見ました。結構形はしっかり残っていて、頭の骨が一番上に乗っている事に妙に安堵感を覚えました。今は会社から帰宅しても普通に過ごせるようになりました。
そして何と言っても、声をかけてくださったメッセやリアルの友達に感謝しています。ホント支えになりました。「また音楽を聴きたい」「あの世でヨロシクやってるでしょう」「干瓢らしくないよ」「ご愁傷様です」「実家の犬に会いたくなった」などなど。わざわざ酒飲みに来てくれたJさんにも感謝してます。


それだけ偉大だったんだなあと思いつつ。飯ハフハフ食う姿は実は結構素だったんだろうなあなんてニヤけつつ。



旧地獄街道を行く Dance.edt(MP3)
だもんでいい加減うpしました。


提供物
バリバリ工事中ですが、提供物のページも作りました。