母校と母サークルの話

■ふとしたことで母校へ

実は、偶然にも今勤めている会社に「同じ大学同じ学年の友人」がいるのですが、6月末をもって退職されると言うことで、この機会に「じゃあ飯ついでに大学でも行く?」なんていう軽いノリで大学に行くことになり、卒業してから約6年ぶり、仕事終わりにその友人と一緒に母校の大学へ行ってきました。


母校は平塚市秦野市の間にある東海大学湘南キャンパス。東海大学前駅の駅前のロータリーも随分立派になり、下車して早々「良い意味」で変わり果てた光景に「うわぁ」なんて声が出てしまうほどビックリ。

駅から大学までの道のり、キャンパス内の光景など、青春を過ごした懐かしい風景をゆっくり歩きながら舐めていると、思い出話が尽きず、「ここゲーセンあったよな?」とか、「校門の前のマクドナルドが無くなってる!」とか時間を忘れてずっと喋っていました。昔は毎日通っていたはずが、30歳を目前に控えた運動不足のおじさん予備軍ともなると、通学路途中の坂とそれに続く急な階段がきつかった。



何号館かは忘れましたが、南側に位置するよく授業を受けるために通っていた建物。僕の所属していた学科は再編成のため既に存在せず、元となる電子情報系の学部も高輪のキャンパスに移転してしまったそうで、現在は電気工学系が残るのみとなっている。2Fのデッキで「単位取れるかなー・・・」なんて友人と喋りながら屯していた頃が懐かしい。
実験棟を訪問したところ卒業研究でお世話になった先生の研究室がまだ残っており、挨拶しようと思ったのですがあいにく早く帰られたとのことで会うことができず。



よく利用していた学食(コムスクウェア)から5号館方面を望む。5号館は学生が自由に利用できるPC室があり、僕が在学していた頃のPC室はWindows2000とXPのマシンが混在しており、CRTモニタ(液晶ではない)がずらっと並んだ部屋で、授業までの間よく時間を潰したものです。学生個々に割り当てられたネットワークドライブの容量が確か50MBだったかな?



8号館食堂にて竜田揚げ丼を嗜む。懐かしさに任せて勢い余り、写真撮る前に思わず食べちゃった図。昔は半分が喫煙席だったのですが、全て撤去されフロア内も随分明るくなっていました。



■コンピューターアート研究会(CA研)


今はどうなっているかわかりませんが、サークルはコンピューターアート研究会(通称CA研)というPCを使ったアートを主とした非公認サークルに1年の時から卒業まで所属し、当時はCG班、Web班、DTM班、DTP班があり、僕はDTM班長をしていました。



表パッケ(拡大版) 裏パッケ(拡大版)
懐かしくて漁っていたら出てきたDTM班のCDパッケージ。
11月くらいに建学祭という文化祭があるのですが、毎年そこに向けて1枚のCDを作りましょう、みたいなのを企画していたんです。↑はその頃作ったCDパッケージのもので、2004年作のもの(他の年のCDデータはどっか行ってしまいました)。クレジットが「ストリートファイターⅡたち」となっているのは、DTM班では当時総当たり戦で大会を開くほどストⅡが流行っていたためです(もはやストⅡ班である)。
学科の友達とはまた別に、別学科の友人が集う烏合の衆という感じはまた別の面白さがありました。ゲームを作ろう!企画が頓挫したり、コミケに出たり色々あったけど、元気にやってたな、と思います。


The Festival noiz -CA edit-(MP3)
上記CDの1曲目のデータを引っ張ってきてマスターしたもの(音は当時のまま)。CDの1曲目イントロに「DTM team of computer art club」というMCが入るライトなハイパーテクノをテーマソングとして据えたらかっこいいなと言う「DTM班ここに見参!!」みたいな思いで作っていたのをよく覚えています(笑い)
9年も前の曲なので今となってはアレですが、バカ直球で「こういうのが表現したい」感がぷんぷん匂う曲というのは、最近の僕はこういうの作らないなぁとも思ったり


当時僕が入った頃はDTM班も二人しかおらず(しかも4年の先輩方)、崩壊寸前の状態からスタートしたDTM班でしたが、在学中に潰すことなく増やしていけたのは良かったなと思います。2年ほど前にCG班メンバーの結婚式がありましたが、他のメンバーは元気にやってるのかな。